性欲について深堀! 「性」の指向について
アセクシャルは「人間に対して性的欲求を抱かない人」ですが、さらに分かれる部分が「性」への指向です。「性嫌悪がある/ない」「性行為ができる/できない」にあたります。
ここでは、アセクシャルの人でも「性」の指向について解れる部分を細分化してみました。
アセクシャルとは
外国ではアセクシャルとは「他者に対して性的欲求を抱かないこと」とされています。
「恋人がいる/いない」「性欲がある/ない」「一人でする/しない」「恋愛する/しない」「性嫌悪がある/ない」「性行為ができる/できない」「結婚したい/したくない」「子どもが欲しい/欲しくない」「性別/性自認」などは関係がありません。
あくまで自分で自分を当てはめるセクシャリティなので正解などありません。
「他者」について
「他者とは、自己以外の他のもの」のことを意味します。
「性欲がある/ない」「一人でする/しない」「性行為ができる/できない」など関係ないのです。
男性や女性に性的に惹かれたことがなく、人間以外のものに性的魅力を感じたことがない人は、アセクシャルと自認しやすいと思います。
しかし、「性欲は人並みにあるけど、人間としたいとは思わない」「3次元には興味がないけど、2次元のキャラクターには性的欲求を抱く」「フィギュアや動物に性的欲求を抱く」人もいます。このような人は、自分がアセクシャルに当てはまるのか疑問に思いますよね。「人間に対して性的欲求を抱かない」のであればアセクシャルに当てはまるのです。
「性的欲求」について
アセクシャルは「性欲がない人」と言われがちですが、少し違います。
「性欲がない人」もいれば「性欲がある人」もいるのです。
普通の人からすれば「性欲があるのにアセクシャルなの?」と思いますよね。
ざっくり言うと「性欲がある=セックスをしたい」と思わない人がアセクシャルなのです。
「性」指向について
アセクシャルでも「性」への指向は異なります。まず「性嫌悪がある/ない」にわかれます。
性嫌悪があるアセクシャルとは、全ての性にまつわる話に対して嫌悪感を抱くことです。
性嫌悪がないアセクシャルとは、性的な話や他者に性的欲求を抱くことはあるが、自分が性行為をすると思うと嫌悪感を抱くことです。
普通の人は「性嫌悪」と聞くと「性の話に対して嫌悪感を抱く」と「性行為に対して嫌悪感を抱く」をセットで解釈すると思います。
アセクシャルは、「性の話」と「性行為の話」は意味が異なるのです。性嫌悪があるアセクシャルの人が多い気がします。性への話しや友達の恋人とのイチャイチャ話しなど、恋愛的要素を含めて嫌悪感を抱く人もいます。
性嫌悪がないアセクシャルの人は「性」にまつわる話に対して嫌悪感を抱きません。むしろ、好き!っていう人も少なからずいるでしょう。しかし、自分の性行為に対して嫌悪感を抱く人は性行為嫌悪にあたると思います。
性行為嫌悪について
アセクシャルの性行為嫌悪とは、性的な話はできるし性的欲求を抱くけど、自分の性行為に対して嫌悪感を抱くことです。
性嫌悪がある人は性行為に対しても嫌悪感を抱くでしょう。
おそらく、アセクシャルで性行為嫌悪を抱く人は、「性」に対して「特になにも思わない」など、興味が薄めな気がしています。
友達が恋人と盛り上がったセックスや癖について話していても「へぇーそうなんだ…」と聞くだけで終わります。おそらくAVを観ても男女が絡み合っているだけで、特に何も思わないと思います。ですが、もし自分が性行為をしていたら…と考えると嫌悪感を抱くのです。
まとめ
アセクシャルとは「他者に対して性的欲求を抱かないこと」とされています。
「人間に対して性的欲求を抱かない」のであればアセクシャルに当てはまります。
アセクシャルは「性欲がある」「性欲がない」にわけられます。
「性欲がある=セックスをしたい」とは限りません。
さらに、「性の話」と「性行為の話」は意味が異なります。
「性嫌悪がある」「性嫌悪がない」にわけられます。
「性嫌悪がある」人は性行為にも嫌悪感を抱くでしょう。
「性嫌悪がない」人は「性の話」はOKだが「自分が性行為をする」ことに対してのみ嫌悪感を抱きます。
同じアセクシャルでも「性」への指向は異なります。
正解はないと思うので、自分がどのような指向なのか考える時の参考になればと思います。